おかげさまプロジェクトを考えた理由

私は、脚が綺麗な女性に憧れてきました。
自分も美脚になりたい夢がありました。

15年ほど前から、ストッキングに固執するようになり、
ここがこうだったらな~・・・
こんなのがあればいいのにな~・・・
無いなら、自分のブランドストッキングを開発したいな~と
ずっと、ぼんやり思い描いてきました。

事の始まりは、昨年9月24日のことでした。
いつものように仕事を終え、帰宅途中私は、交通事故に遭ったのです。
車に跳ねられた記憶もなければ、道路に叩きつけられた痛さも感じませんでした。通りがかりの救急車で病院へ運ばれたのですが、意識は一瞬戻って救急隊員に名前くらいは伝えたような気がします。
血まみれの道路と、腕から飛び出した手羽先のような骨だけが記憶にあります。

目が覚めた時は、緊急病棟のベッドの上でした。
沢山の管につながれ、体中が全く動けないくらい痛かったことと、周りの騒々しさで事の重大さに気が付きました。一番ことを急いでいたのが、開放骨折の手術の出来る病院と、医者探しだったようです。
開放骨折は時間が経つと、破傷風を引き起こすらしく、とりあえず傷口をジャバジャバ洗われ、傷を縫われて、もの凄く痛いと感じました。
そのあと、手術の出来る病院が見つかり搬送されたのですが、その日はあいにくの土曜日で麻酔科のお医者さんがいません。
でも、一刻を争っていたためブロック注射だけで手術をしました。
出血も激しかったため、寒くてブルブル震えが止まりませんでした。

その時の看護師さんの言葉は、一生忘れることはないでしょう。

「生きていて良かったね。普通なら生きてはいないほどの事故だったのよ」と。

看護師さんは鏡で顔を、一切見せてくれませんでしたが、友人にお願いして写真を撮ってもらいました。
それが、この写真です。

もう元の顔に戻らないのかもしれない!と思うと、自然に涙がこぼれましたし、ショックは隠せませんでした。

それでも何とか無事、回復して1週間たったころ一般病棟に移ることが出来、尿管も外され車いすではありましたが、トイレに行けることに幸せを感じました。
しかし、完全看護が解けたそこからが、自分との戦いでしたね。
利き腕の右手がギブスですから、今までのように思うようなことが出来ない自分に苛立ったりもしましたし、寝ていたせいもありまっすぐも歩けない自分に腹も立ち始めていた時期でした。顔も自分で洗えない。お風呂も一人で入れない。左手で食べる食事は不味い。マイナス思考の渦にいました。

そんな感情も時と共にやわらぎ、退院したい意欲も出てきました。そう転換すると今度は、1度は死んだと考えたら何でもできそうな勇気が湧いてきました。

そうだ!やりたいと思っていることを、今やらなくてどうする!
人生どんなことが待ち受けているか、わからないんだ!!
企画を温めている場合じゃない!退院したら、すぐ開始だ!

それが、このプロジェクトを始めたきっかけです。
今までの、自分の鎧を脱ぎ捨てて商品開発に没頭してきました。
そして、ストッキング作りに共感してくれたメンバーと共に、生かされた「おかげさま」の想いを胸に私は、足の美容家として、活動を開始し始めました。

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